【弘前市】江戸時代の殿様は、どんなお菓子を食べていた? 大阪屋、旭松堂、いなみや菓子店、双味庵から和菓子の歴史を探求してみました。

青森県

和菓子皆さんは、和菓子は好きですか? 天下泰平と呼ばれた江戸時代は、公家から庶民に至るまで、菓子文化が栄えた時代でもありました。各城下町で、将軍への献上品や藩主の嗜好品として、数々の銘菓が作られました。どんなお菓子があったのでしょう?

和菓子昨年(2025年)、高岡の森弘前藩歴史館で開催された企画展「藩主のたしなみ」に展示されていた書状によると、弘前藩9代藩主津軽寧親が、手作りのカステラを贈答したという記録が残っています。

和菓子カステラは、16世紀の室町時代末期にポルトガルの宣教師によって伝えられました。現在のカステラのスタイルは、江戸時代に確立されたそうです。双味庵のカステラは、しっとりした食感と卵の風味が魅力です。

和菓子カステラと共に、ポルトガルから伝わったのが金平糖。金平糖を最初に食したのは、織田信長と云われています。1569年に宣教師ルイス・フロイスが献上したそうです。

和菓子当初は高級品でしたが、砂糖が普及した江戸時代後期には、庶民も食べていたようです。彩り豊かないなみや菓子店の金平糖は、素朴な砂糖の味に懐かしさを感じます。

和菓子どら焼きの原型は江戸時代のお菓子で、薄く焼いた小麦粉の生地に餡を包んだ助惣焼き(すけそうやき)と云われています。現在のどら焼きのスタイルは、明治以降から大正時代に確立されました。

和菓子寛永7年(1630)から続く菓子店大阪屋は、豊臣家の家臣が創業し、弘前藩2代藩主信枚公から御用菓子司を仰せつかった老舗です。大阪屋のどら焼きは、蜜のような上質の餡が特徴です。

和菓子明治以降になると、それまでの和菓子が発展し、バターや生クリームを使った洋菓子が作られるようになりました。旭松堂のエンゼルケーキは、メレンゲとバタークリームを使った和菓子屋のケーキです。

和菓子エンゼルケーキは雪のような美しさと、食感の良さに定評があります。もしも、弘前藩9代藩主津軽寧親が食したら、舌を唸らせたでしょうね。弘前市内には、銘店と言われる和菓子屋が多くあります。和菓子を嗜んでみませんか?

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